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高安千塚古墳を歩こう(17MB) 八尾市教育委員会文化財課2018年作成
高安千塚(たかやすせんづか)古墳群
200基以上の横穴式石室が残る近畿地方最大級の古墳群です。
主に六世紀後半に築かれた古墳時代後期の横穴式石室墳で、巨石で石室を築き土で覆った円墳がほとんどです。
この辺りを散策すると驚くほど古墳を見つけることができます。
※ほとんどが民有地のため勝手に立ち入らないでください。
立ち入りができる古墳でも石室に入るのは危険が伴いますのでご注意ください。- 芝塚古墳調査報告書(38MB)
八尾市文化財調査研究会1993年 - 大石古墳調査報告書(22.8MB)
八尾市文化財調査研究会1995年 - 高安古墳群発掘調査概要(17.4MB)
大阪府教育委員会2004年 - 花岡山古墳調査報告書(16.8MB)
八尾市文化財調査研究会2006年 - 高安古墳群分布・測量調査報告書-大窪・山畑南地区詳細分布調査(22.8MB)
八尾市教育委員会2007年 - 薗光寺跡調査報告書(72.1MB)
八尾市文化財調査研究会2009年 - 高安古墳群調査報告書-部川支群西側地区(19.4MB)
八尾市教育委員会2010年
- 芝塚古墳調査報告書(38MB)
高安古墳群 分布・測量調査報告書
2008年3月八尾市教育委員会より
下の写真をクリックすると地図もしくは動画が見れます。
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心合寺山古墳【おすすめ】
5世紀前半につくられた中河内最大の前方後円墳で、当時この地域一帯を治めた豪族の墓と考えられます。墳丘長は約160m、総面積は約30,000㎡、墳丘は三段築成となっております。当時を復元した古墳一帯は公園になっており立ち入ることができます。併設されている八尾市立しおんじやま学習館では出土品を中心とした展示を通して、「心合寺山古墳の時代」を学べる施設です。また子どもが楽しめるスタンプラリーを実施していたりやミュージアムショップがあります。
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鏡塚古墳
俗に松山とか腹痛山という。墳丘の上部には粘土郭が残り、また火葬跡が2ヵ所発見され、石櫃の蓋の破片も出土している。 古噴時代の中期末の環濠式前方後円墳で、数十年前に採土され、その跡に小神祠をまつる。入口のところに宝山神社の碑がある。
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愛宕塚古墳
大阪府下で最大規模の石室をもつ古墳で古墳時代後期の横穴式石室墳。遺物では凝灰岩製の家形石棺片、鉄製利器、金張鉄製品、土器のほか玉類、鉄地金銅張馬具など優れた副葬品が多量に残存していて被葬者の地位、性格を物語っている。現在は劣化が進み中に入ることはできません。
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向山古墳
古墳時代の前期に属し、独立丘陵を利用して設けられた西向きの前方後円墳である。墳丘は早くから開墾されて植木畑となり、後円部は一部が採土されている。後円部南側の池畔に平安時代末期の窯跡があり、いまも窯の一部が遺っている。ここで焼かれた瓦は宇治の平等院、京都の醍醐寺をはじめ近畿各地に運ばれている。(八尾市教育委員会)
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西ノ山古墳
古墳時代前期の南面する前方後円墳である。もと楽音寺の村落がこの地の東の山麓にあった当時に古墳のある丘が「西ノ山」と呼ばれていたところから、そのまま古墳名として残っている。明治十四年(一八八一)開墾中に後円部から石棺が発見され、その中から人骨、勾玉、刀剣などが出土した。いま前方部は耕されて植木畑となっている。南の谷をへだてて、同じく前期の前方後円墳の花岡山古墳があった。(石板:八尾市教育委員会)
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花岡山古墳
大阪経済法科大学の正門を入ったすぐ右手に石碑があります。古墳時代前期の前方後円墳だが昭和30年代に破壊され現在は石碑のみになっています。
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芝塚古墳跡
この古墳は、標高100m付近に位置しており、直径20m程度の円墳であったと推定される。横穴式石室とその中に納められた組合わせ式家型石棺3基(棺)を検出した。高安地域の首長を埋葬した古墳の一つとして重要な古墳であったと思われる。(八尾市教育委員会より)
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服部川7号墳
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二室塚古墳(服部川25号墳)
神光寺の東側にあるが容易には発見できない場所にあります。6世紀後半頃に造られた横穴式石室墳です。玄室を2つ連結したもので全国的に類例のない非常に貴重な古墳です。写真のように劣化しており立ち入り禁止となっております。
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服部川42号墳
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服部川78号墳
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抜塚(大窪・山畑7号墳)
浄土宗来迎寺の墓地内の南側、現在地から右手に見える横穴式石室墳です。トンネルのように、通りぬけることができることから、抜塚ともよばれています。現存するのは仙道部分であり、高安古墳群中で最大級の石室の1つであったと考えられます。
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俊徳丸鏡塚古墳(大窪・山畑27号墳)
この地は謡曲弱法師(ようきょくよろほうし)、浄瑠璃摂州合邦ヶ辻(じょうるりせっしゅうがっぽうがつじ)で名高い俊徳丸の故地で有名である。物語はこの高安の里の信吉長者(のぶよしちょうじゃ)の子であった俊徳丸が、継母に呪われて失明し、四天王寺の境内で物ごいの生活をする身となった。ところが以前、四天王寺で舞楽童をつとめた俊徳丸を見そめて恋仲となった同じ里の蔭山長者(かげやまちょうじゃ)の姪(めい)がこれを聞いて観音に祈願したところ病はなおり、二人は晴れて夫婦になったという。しかしこの塚は、横穴式石室をもつ六世紀の古墳であり、実川延若寄進の焼香台がある。(八尾市観光データベースより)
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ドルメン古墳(大窪・山畑36号墳)
ドルメンとは新石器時代から鉄器時代にかけて、世界各地で作られた巨大な石の墳墓のことであるが、この古墳は横穴式石室が残っているものであると考えられるため、正式にはドルメンとは異なると考えられる。ここは標識もなく、道なき道を入っていくところに存在し通常発見するのは困難であると思われるが、このホームページのYouTubeで行き方を紹介していますので写真をクリックしてご覧ください。
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開山塚古墳(郡川1号墳)
法蔵寺の階段を上がると右手にあります。周辺には発見が困難であるが郡川2号墳、3号墳、3-B号墳、4号墳があります。
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郡川30号墳
本照寺敷地内にあり、寺務所への声掛け不要の立札があります。古墳内部にも入ることができます。
その他:核山古墳、大石古墳、中谷山古墳、双子塚古墳、郡川西塚古墳、郡川東塚古墳、交互二室塚
高安古墳群 分布・測量調査報告書 2008年3月八尾市教育委員会より