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①玉祖神社(高安大明神)
神立地区
大阪府で最も高い位置にある式内社で1300年以上の歴史を誇る。玉祖明神とか、高安大明神といわれている。寺宝も多く、北条時政の制札(重文)男女神像(府、重、美)樟樹(府天然記念物)豊臣秀頼寄進の石灯篭などがある。畑や小屋を利用したギャラリーやパワースポット、天上茶屋などがあり多くの人が訪れるスポットになっている。また水仙が一面に植えられており、美しい景色を眺望できる。 -
②熊野神社
楽音寺地区
熊野神社分神鎮座記念碑
昔、楽音寺熊野神社は、西の山の東金比羅屋敷にありましたが、明治初期に、貴島康彦先祖の土地である当地に移されたが、その後倒壊し、御身(神)体は、神立にある郷社玉祖神社に預けられました。全国に分布する熊野神社の分社は5千社あって大阪府下には60余社が分神としてまつられている」とのことであり、当神社もその一つであることが判明したので、昭和57年7月15日、新たに分神として迎え、之を記念し建立したものである。(石板) -
③賀茂神社
大竹地区
現在の西高安町にあり、簡単には発見できない場所にある。地元でも知る人は少ない。古代の豪族・鴨氏にかかわる神社とされるが、詳細不明。今は玉祖神社に合祀されている。 -
④都夫久美神社
水越地区
延喜式神名帳では小社に列せられており、古代の大豪族物部(もののべ)氏の祖神宇摩志摩治命(うましまじのみこと)を祭神とする。ツブクミという社名は、物部氏の一族積組連(つぶくみのむらじ)に由来する。(新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)による)近世頃には香森大明神と呼ばれ社地を中の森と言っていた。この神社の西方には弥生時代の集落址である水越遺跡が広がっており、その関連がうかがえる(八尾市教育委員会) -
⑤御祖神社跡
大窪地区
式内社御祖神社が明治41年2月まで鎮座していたが、同年2月10日郷社玉祖神社に合祀され、現地には昭和13年5月に建立された「式内御祖神社跡」という碑がのこされた。山王の森と呼ばれている。 -
⑧佐麻多度神社
山畑地区
式内社で当地山畑の産土神である、旧社地は百メートルうえの扇状地の谷口天神山にあったが、明治三十一(一八九八)年現地へ移った。 山畑神社はこの社の末社で春日御子大明神なり。 敷地は東西七メートル 南北一〇メートルあり、この付近から素焼の陶棺が出土、今は東京博物館にある。 境内に力石(一六五キログラム)があり、明治初期にはこの石をもちあげて力くらべを楽しんだ。(八尾市教育委員会) -
⑥服部川八幡宮
服部川地区
江戸時代以来、服部川村の氏神として八幡宮、八幡社といわれて崇拝された。淀藩領高安郡寺社帳によると、当社は正八幡宮とあり、相殿に天神社を祭る。境内に無本寺の西光寺(西迎寺)があった。拝殿前の狛犬には、「巳亥天保十年十一月吉日」の銘があり、この年に奉納されている。明治七年三月二八日、高安郡神立村の玉祖神社に合祀された。その後、明治二十五年三月三十一日、旧社地に社殿を造って、四月三十一日夜、正遷宮を行い祭った。しかし形式的には玉祖神社に合祀された状態であったが、太平洋戦争後まもなく分離独立し、現在地に遷座した。【出典:説明石板』(稲田正春・飯田信一・飯田光治・川村喜代次・乾秀夫・宮崎利彦)】 -
⑦天王神社
郡川地区
創祀 世紀三二三年(皇紀九八三年)仁徳帝の御代鎮座一、祭神 本殿は須佐男命 (別名)牛頭天王金比羅社(右)大國主命 事代主命 稲荷社(左)櫛名多比賣命 右は河内風土記に據る【出典:『木製説明板』(郡川地區会)】
名称 | 住所 | |
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① | 玉祖神社 | 八尾市神立5丁目5-93 |
② | 熊野神社 | 八尾市楽音寺7丁目 |
③ | 賀茂神社 | 八尾市西高安町 |
④ | 都夫久美神社 | 八尾市水越8丁目 |
⑤ | 御祖神社跡 | 八尾市大窪521 |
⑥ | 服部川八幡宮 | 八尾市服部川6丁目313 |
⑦ | 天王神社 | 八尾市郡川6丁目 |
⑧ | 佐麻多度神社 | 八尾市山畑 |